マロン・ザ・ゴールデン

片目のシニア犬”マロン”と保護猫”タマ”の日常生活

なぜ犬は、カワイイか?マロンと5ヶ月前、死に別れた飼い主が、今思う仮説。

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マロンを亡くして、ワンコのいない日々が続いています。最近は、もっぱらK-POPアイドルの動画に癒やしを求めている、飼い主です(笑)

 

最近、いったいなぜ、こんなに犬はかわいいのだろうと考えています。

 

ボクの考えは、犬は、おそらく人間にしたら、3歳から5歳くらいの精神年齢のまま、死ぬまでいるからではないだろうか、という仮説に思い至りました。

 

人の子供も、このくらいの年頃が一番カワイイと、ボクは思うのです。理屈ではなく、直感的にそう感じます。犬は、その年齢より大人びるでなく、もちろん老いるわけでもありません。仔犬時代があって、思春期があります。そして成犬になっても、このくらいの年頃のまま、亡くなるまで、づっとそのままなのです。

 

だから、犬は飼い主を心から、無条件に愛してくれます。お散歩なんて、くだらないなんて思いません、一心に喜びます。新しいオモチャなんか必要ない。そして、知らない人が訪れると、自分のお気に入りのオモチャを咥えて、一緒に遊んでくれ、と誘います。ただ、いっしょに遊んであげればいいのです。ご飯にしても、またカレーなんて言いません。毎日、まるで三日も食べていないくらい、喜んでくれるのです。もちろん、自分の近くで争いゴトがあれば、分けて入ってくれ、飼い主が悲しそうにしてれば、そっと瞳を中を覗きこんでくれます。

 

そんな、ひとつひとつの仕草や日常がボクには、本当にカワイイ、と思うのです。そして何より、そういう犬との生活が幸せなんだと思います。

 

最近、生き物は死ぬときに別れが悲しいから、もう二度と飼いたくない、というコメントをもらいました。気持ちは理解できます。ボク自身も、自ら育てたゴールデンとの一度目の別れのときは、ペット・ロスに陥り、そう感じました。それから3年は、マロンを向かい入れることができませんでした。

 

でも、今回、マロンとの別れを通じて、そうした思いとは別の思いを持つことができたのです。それは、マロンと一緒に生きて、~幸せ~だった、ということなのです。

 

生き物は、死ぬから、悲しい、苦しんでいる姿を見るのがつらい、自分が取り残されたら、さみしすぎる、ではなくて一緒に生活できて、幸せだった。少なくとも、マロンがいない生活よりも、健康で、幸せに生きることができたと心から思えるのです。

 

彼を毎日散歩に連れ出すために、日々外を歩き、四季の季節に触れることができました。今は外に出ずに、室内でエアロバイクをこいだり、ジムに通って体を動かしています。

年に何回か脱走するマロンに腹を立てながらも探しまわった挙句、一人玄関前で待ってる彼にブちぎれたりしたこと。雪の穴に落っこちる、彼のドジな姿に、ただただ大笑いした日々が幸せだったんだ、と思えるのです。

マロンと死に別れるまでの3ヶ月間は、づっと看病や介護で大変だと感じていたけれど、最後の最後まで彼は生きたんだ、犬だけでなく、生きとし生けるものは、すべて死ぬ運命にある、それは避けることができないのだ、だから今現在を幸せに生きるんだ、そういうことをマロンはボクに示してくれました。

 

それでも、苦しくても、目が見えなくなっても、命の限り、生きて、最後までボクに愛情を示してくれたマロンと一緒に生きられてボクは幸せだった。そうやって、病気になることだって、死ぬことだって、彼の生の一部であって、今マロンは、ボクのそばにはいないけれど、心の中では、いつもボクに笑いかけて、シッポをぶん回していてくれるのが、本当のいやしになっているのです。

 

だから、悲しい、悲しい、なんて嘆き悲しんで、ペット・ロスなんかになってられないよ、とマロンに言われているような気持ちになります。

 

もちろん、時には最後の姿を思い出して、悲しい気持ちになるけれど、それはマロンがいてくれたからであって、彼がかけがえのない存在でいたくれたからこそ、そう思えるんです。決して、マロンなんか飼わなければよかった、なんてボクは思いません。

 

 

ボクが死ぬ間際のマロンの様子を動画にアップして、「こんな姿さらすなよ」なんてコメントが書かれました。でも、「待ってくれ、オレは死んだマロンの姿を1秒だって晒したことなんか、ないんだ、これもマロンが生きた姿なんだ」とボクは言いたいんです。

 

ボクは、「この最後の2年間、マロンが生きて、ボクと一緒に暮らした姿をづっと動画にあげてきたんだ、この2年間、マロンと幸せに暮らしたんだ、だからこれもマロンと生きた証であって、ボクがマロンをさらしものにするはずないじゃないか」と言いたかったのです。

 

だから、もうペットなんか飼えてない、とおっしゃる飼い主さんには、「ペットと一緒に暮らした生活は幸せでした、愛して、大切にしてあげたあなたは幸せでしたね」と言ってあげたいです。そして、「またいつか自然にペットと一緒に暮らしたい、と思えるといいし、ペットなしでも十分に幸せなら、もっと素敵ですね」とも言ってあげたいとボクは思うのです。

 

現在、ペットと生活している飼い主さんには、ペットとの別れを心配するよりも、ボクは、ペットと暮らす生活が羨ましいです、と言いたい。心から「今ペットを幸せにしてあげて、自分も幸せになってください」と言いたいです。

 

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