マロン・ザ・ゴールデン

片目のシニア犬”マロン”と保護猫”タマ”の日常生活

NHK BS放送「家族になろうよ」を観て、何で、人はペットを飼うんだろうか?と考えてみた

羽田空港ターミナル内のペットホテル

 

2月23日に放送されたNHK・BS放送「家族になろうよ」というペット番組をようやく見終えました。3部構成番組の中で「人とペットの絆」というテーマの、「ブラジルのホームレスがペットと暮らす」という映像にいろいろと考えさせられました。

  

ホームレスの方々が直面する貧困というのは、厳しい現実です。ボクも独立していて、少なからずお金のありがたさ、厳しさを経験しています。けれども、ホームレスの過酷さ、しかも海外のそれは比較になりません。明日の食べ物、命すら不確かなホームレスの人々がペットをかいがいしく世話している、そして笑顔になっている姿をボクは観たのです。自らのバス代しかお金がなく、それを支払ってまでも自分の病気のペットを助けてくれと、獣医に請う姿にボクは胸を打たれました。

 

お恥ずかしながら、ホームレスの人たちがペットを飼うということをボクは、想像したことがなかったのです。

 


ブラジルのホームレスの人は、なんでペットを飼うのだろう、と思ったゴールデン・リトリーバーの飼い主

 

だから映像を観て、なぜペットを飼うのだろう、と素朴に衝撃を受けました。

 

生活の豊かな人たちが毛並みの美しいブランド犬を広い庭で放し飼いにしているのとは違います。多くのホームレスの人たちは、例外なく2~3の荷物を手押し車に押し込んで、それに自分のペットをリードで繋いでいる。どう控えめに観ても、恵まれた環境とは思えません。とりわけブラジルの場合、ホームレスの近くには、犯罪も、薬物も、暴力も、あらゆる危険が存在します。でもそういう厳しい状況でも、飼い主のペットに向ける目は優しく、ペットも飼い主に懸命に応えています。

 

人は、ペットに無私の愛を注ぎ、そしてペットは、それに応える。そこには妥協も打算も、損得もなく、ただ”愛”があるだけです。そう、おそらく人が人であるために、ペットは必要なんだとボクは思いました。

 

もちろん、ホームレスの人たちにとっては、ペットよりもお金の方が必要なのでは?と最初は思いました。お金は大事だし、お金があればたいがいのことはなんとかなります。でもその一方で、人は愛を失ったとき、死すら考えます。ホームレスの人たちは、多くのものを失った人たちです。それでもペットと暮らしている。ペットは、それほど人が生きていく上で必要なのかもしれない、と考えが変わってきました。

 

お金と愛。ホームレスの人たちはその両極端の価値を失っている。どちらを選ぶのか、どちらも選べないのか?その時、やはり愛がなければ、人は人として生きてはいけないのではないか。だからその愛の形、ペットを選ぶのだと。ただ金を求め、欲望のまま行動し、人を傷つけ裏切り、そうやって人は幸せに生きてはいけないのではないか。「愛は金で買える」と言放った人間がいました。しかし、金持ちである、その人がより愛を手にしているとは思えません。実際、彼は過ちを犯しました。そういう生き方は、やがて自ら傷つくのではないでしょうか。どんな大金持ちでも、権力者でも、最後は平等に死んでいくのです。その時人は何を考えるのか。

 

あるいは、ホームレスほど極端な状況でなくても、ほとんどの人は相手の立場や力関係で、必ずしも正直に生きられるわけではない。そこには少なからず打算があり、妥協がある。そして残念ながら同じ人でも、時間や状況とともに愛情が変わることもあります。人は、自分自身を裏切り、騙している部分があるのです。

 

人の人生は”無常”で不完全です。

 

ペットの愛は、そういった不純・不確かなものがない。だから、ペットは、人にとって大切な愛の一つの形なのかもしれない。だから必要とされるのだと。

 

(人=愛=幸福)  ≅  (人=ペット=幸福)

 

ペットは自分が愛情を受けた分、そのまま愛してくれる。しかもその愛は、生涯、変わりません。自分のペットが子犬の頃は好いてくれたのに、成犬になったら嫌うようになった、ということはありません(笑)。人ではふつうにあります。 

 

ボクは、前の飼い犬ラッキーが、最後に倒れたときの物語を常に心に持っています。最後に彼が倒れたとき、彼の視線が遠くなりました。ボクは「ラッキー、まだ行くな」そう何度も倒れた彼に声をかけました。その瞬間、彼は、前足をブルブル痙攣させながら立ち上がったのです。ボクは、その彼を抱きかかえて車で病院へ駆け込みました。車中でも彼はブルブルと前足を突っ伏していました。やっと診察室へ担ぎ込み、倒れたままの彼は、もはや立ち上がれませんでした。そして、首だけをボクに振り向け、「ダディ、ボクがんばったよ」とボクにほほえみかけてくれたのです。入院させたその夜、彼は旅立ちました。このことをボクは決して忘れられません。それから3年、ボクは犬を飼うことができませんでした。ペットは、飼い主が偉いから尻尾を振るのではない。お金をくれるから笑ってくれるのではない。ただ世話してくれ、愛情をかけてくれ、それだけで生涯変わらずに応えてくれるのです。

 

ペットは飼い主にとって、愛が形をかえた”何か”ではないだろうか。そこに飼い主は、それぞれの欠けた何かを見いだし、満たされ、癒やされ、幸せを感じるのではないでしょうか。人生は無常で、人は不完全だからこそ、どこか深いところで、ペットは人にとって必要なのだ、と思うのです。あるいは飼い主は、人生のどこかで、何かのきっかけで、そのことに気づいた人たちなんだ、と思うのです。

 

ブラジルのホームレスの人たちがペットと暮らす姿にボクは、そんなことを思ったのでした。

  

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 #ホームレスとペット #ゴールデン・レトリーバー #シニア犬